京都地方裁判所 昭和48年(ワ)865号 判決 1976年10月01日
原告
足立幸代
右訴訟代理人
岸本昌己
外二名
被告
国
右代表者法務大臣
稲葉修
右指定代理人
宝金敏明
外二名
主文
一 被告は原告に対し金三九万六一四六円および内金三二万六一四六円に対する昭和四八年七月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は二分し、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金三三八万三〇〇〇円及び内金三〇八万三〇〇〇円に対する昭和四八年七月二一日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二、請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一、請求原因
1(イ) 原告は、幼い頃より右眼の右眼尻に腫瘤がわずかに眼球の極く一部を被うような状態となつていたので、美容上若し簡単に摘出でき、かつ手術による痕跡が残らないようならば摘出したいと考え、福知山市天田一三七の開業医桐村茂昭の診察を受け、同医師の紹介をうけ、昭和(以下に於て略す)四五年八月二七日被告の経営する京都大学附属病院(以下京大病院という)眼科宇山昌延医師の診察をうけた。
(ロ) その際、原告の両親は、同医師に対し、美容整形の目的であるから、手術が大げさなものであつたり、摘出後眼に変型を生じたりするようならば摘出を敢えてしなくてもよい旨を明確に伝えた。同医師の診察の結果によれば、この腫瘤が悪質なものではないこと、眼球を被つているわずかな部分だけ切除すればよいから費用は三〇〇〇円程度のもので、傷跡も一週間あれば完治する、入院の必要はなく、地方の病院でも出来る旨であつた。
(ハ) そこで、原告と宇山医師との間で美容整形を目的とし、かつ簡易な手術で、傷跡なども一週間程度で完治することを前提として手術を実施することの了解が成立し、当時原告が高校生だつたので翌年春の休暇を利用して手術することになつた。
2(イ) 四六年三月二二日、原告は、京大病院眼科に於て右眼球結膜腫瘤摘出手術を受けるために赴いたところ、直ちに手術室に入れられた。手術担当の二名の医師(鍋島義明、正和朗の両医師)は以前原告を診察した宇山医師ではなかつたので、原告の両親が手術担当医師に対し手術目的、程度を確認すべく事前面談を申入れたが断られ、手術に先立つ問診、検査などは全くせずに手術に着手した。原告及び両親は、宇山医師の診断に際し明示した目的、方法、程度に従つて手術がなされるものと信じていたところ、手術には約一時間半を要し、原告は、手術中、担当の医師二名において、「こんな奥までとつてしまつて大丈夫かいな」「大丈夫やろう、とつてしまえ」という明らかに手術の程度を越えることを示す会話を聞いた。
(ロ) 翌二三日、同病院で診察をうけたが、医師の指示に従い眼を開けようとしても開かなかつた。二四日も診察をうけたが、眼は殆んど開かなかつたので、原告の両親が要求して桐村医師に対する手術経過報告書を書いてもらつた。二五日帰宅して桐村医師の診察を受けたところ、眼球に大きく赤い肉芽腫がもり上つていた。
(ハ) 同年四月五日再び京大病院眼科にて診察をうけたが、肉芽腫が存すること、眼が開かず物も見えない状態は変らなかつた。そこで原告は、患者相談室を通じて宇山医師の診察をうけると、同医師は、「奥深くとりすぎた」旨手術の過誤を認めるとともに、眼瞼下垂と肉芽腫除去の手術をする必要があることを明らかにし、以後一ケ月に一回ずつ診察に来るよう指示をした。
3 その結果原告は、四六年七月二六日から八月二二日まで京大病院に入院し、七月二八日肉芽腫除去の手術をうけた。右手術は左眼の角膜を右眼に移植するものでその間約一週間は両眼があけられず盲目状態であつた。又原告は同年一二月二〇日から四七年一月一一日まで再度入院し、その間眼瞼下垂の手術を受けた。原告はその後も四七年三月末頃まで治療を受け眼瞼下垂は矯正されたが、その後も次のような後遺症が残つている。
(イ) 充血し、疲れやすい。
(ロ) 右眼のみが二重瞼であり、従つて右眼が左眼よりやや大きく見え不均衡。
(ハ) 右眼の上方に対する視界がせまい。
(ニ) 睡眠した際右眼瞼が完全に閉じず、うすく開いた状態にある。
4 責任原因―一次的債務不履行責任
(イ) 原告と被告との間には、被告が経営する京大病院の宇山医師を介し、原告の右眼に関し、美容整形を目的とし、右眼球結膜腫瘤を外観上見える部分のみ摘出するために必要最少限度除去し、かつ手術が至極簡単で手術後その痕跡が残らないような医療行為をなす準委任契約が成立した。
(ロ) 従つて、被告としては、右契約に基づき当該手術担当医師が診察医師と異なる場合には診察に際しての患者との間の了解事項が診察医師より手術担当医師に伝達、確認され、その指示に従つて手術すべき義務があるのに、宇山昌延医師はその伝達を怠り、鍋島義明、正和朗医師は原告と宇山昌延医師との間の了解事項の確認を怠り、原告の承諾なくして眼球の内部奥深くまで摘出した。
(ハ) 本件手術担当医師は、眼球結膜腫瘤摘出手術遂行に際し、右契約に基づき適切な治療を行うべく十分な診察および手術結果についての研究・検討をすべき義務があるのにこれを怠り、右手術により原告に肉芽腫および眼瞼下垂の結果を生ぜしめ、更に二度にわたる手術を余儀なくさせ、その後、後遺症を発生させた。
即ち原告の腫瘤と上下直筋、外直筋、上眼瞼挙筋とは癒着もなかつたところ、手術に際してはこれらの筋の損傷を生ぜしめないようにすべきなのに手術を誤り上眼瞼挙筋に損傷を与え、眼瞼下垂を生ぜしめた。又、腫瘤摘出に当つては術後眼球結膜等に障害が残らないように注意し、術後肉芽腫などの症状を来す恐れが僅かでも考えられる時は広汎な腫瘤摘出を中止すべきであつたのにその注意を怠り漫然と広汎な摘出手術を行つた。
(二) 以上のとおり、被告は前記準委任契約に基づく義務を尽さなかつたのであるから、債務不履行の責任を負い、後記損害を賠償する義務がある。
5 責任原因―二次的不法行為責任
(イ) 仮に、債務不履行責任が認められないとしても、本件患者の診察および手術に関与した医師は、医師として原告たる患者の承諾を得た範囲内で手術をなすべき業務上の注意義務および手術遂行に際し十分な診察、手術結果についての研究・検討をすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、原告の承諾なくして眼球内部奥深くまで摘出し、肉芽腫および眼瞼下垂の結果を生ぜしめ、かつ後遺症を発生せしめた。
(ロ) 被告は、右手術に関与した医師らの使用者であり、前記医師らは、被告の業務執行として本件手術をなしたものであるから、民法七一五条により不法行為責任を負い後記損害を賠償する義務がある。
6 損害
原告が本件診療事故により蒙つた損害は次のとおりである。
(イ) 治療費合計
金四万五、七四六円
(ロ) 原告母の付添費合計
金一六万八、五〇〇円
通院中は一回一〇〇〇円として八〇回、入院期間五九日中は一日につき一五〇〇円
(ハ) 原告および母の交通費合計
金五万一、五〇〇円
(ニ) 入院期間中の雑費合計
金一万七、七〇〇円
一日三〇〇円として五九日間
(ホ) 慰藉料 金二八〇万円
原告は青春期の女性であり、約一年間にわたつて右眼の外観に著るしい醜状をさらし、苦痛が大であり、かつ更に二度の手術を余儀なくされ現在なお後遺症がありその慰藉料額は金二八〇万円が相当である。
(ヘ) 弁護士費用 金三〇万円
7 よつて原告は被告に対し第一次的に債務不履行、第二次的に不法行為に基づく損害賠償として金三三八万三〇〇〇円と内金三〇八万三〇〇〇円に対する本件訴状送達の翌日である四八年七月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因1(イ)の事実中、原告が四五年八月二七日福知山市の開業医桐村茂昭医師の紹介によつて被告が経営する京大病院眼科に来院し、医師宇山昌延の診察をうけたことは認める。その余の事実は不知。
同1(ロ)の事実中、宇山医師が原告の腫瘤が悪性のものでないこと、右腫瘤の切除が可能であること、右手術には入院の必要がないと診断したことは認める。その余の事実は否認する。
同1(ハ)の事実中、学校の休暇を利用して原告の手術を実施することにしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
2 請求原因2(イ)の事実中、原告が四六年三月二二日手術を受けたこと、原告のみ手術室に入つたこと、宇山医師以外の二名の医師が手術を担当したこと、手術に一時間余要したことは認める。その余の事実は否認する。
同2(ロ)の事実中、三月二五日桐村医師の診察をうけたことは不知、その余の事実は認める。
同2(ハ)の事実中、宇山医師が「奥深くとりすぎた」と手術の過誤を認める旨の説明をしたことは否認する。その余の事実は認める。
3 同3の事実中、後遺症の存在、術後一週間両眼があけられず盲目状態であつたことは否認する。
その余の事実は認める。
4 同4の事実ならびに主張は争う。
5 同5の事実中、被告が手術担当者の使用者であること、手術担当者が被告の業務執行として手術を実施したことは認める。その余の事実および主張は争う。
6 同6の事実は否認する。原告の、第一回手術を含め、四七年二月一四日までの間の治療費の合計は金一万四二六九円である。
三、被告の主張
1 宇山医師は初診において通常眼科で採用されている診察方法に基づき診察したところ、原告の腫瘤は類皮腫であり、切除術によつて比較的容易に除去しうるものと診断したが、手術担当医師(鍋島義明、正和朗)が点眼麻酔を施したうえ、右眼結膜嚢に指を入れて診察してみると、原告の腫瘤は外見よりも大きく、相当深部にまで達していることが判明した。そして眼球結膜を切開したところ、腫瘤は球結膜と癒着して眼球赤道部を越え、後部まで伸びており、深部において外直筋とも癒着していた。この程度に拡大している類皮腫を放置しておくことは医学上好ましくなく、腫瘤の拡大再発予防の見地からもできる限り切除することが望ましいのであり、手術担当医が神経、筋肉等に障害を及ぼす危険のないところまで切除したのは妥当である。
2 原告に発生した眼瞼下垂および肉芽腫は第一回手術の術後反応として生じた合併症である。本件の場合のように腫瘤が球結膜と著るしく強固かつ広範囲に癒着している場合には剥離の施術時に手術具が生体に不可避的に接触する範囲即ち上眼瞼挙筋、上、外、下直筋および球結膜下組織等に相当程度の生理的障害が生ずることはむしろ必然である。右術後反応は生理的機能低下によるものであつて、損傷に基づくものではなく、手術担当医に過失はない。
四、被告の主張に対する原告の反論
1 被告主張1の事実は争う。担当医師には次のような過失がある。
宇山医師は本件類皮腫が相当広くかつ深く広がつていることを初診時に知りえた筈であり、原告に対し広範な切除をする場合のあること、合併症の可能性のあることを告げて意思を確認すべきところ、これをなしていないのは説明義務違反である。
2 例2の事実は否認する。
原告の腫瘤は上下直筋、外直筋や上眼瞼挙筋との癒着がなかつたにも拘らず、上眼瞼挙筋に損傷を与え、眼瞼下垂を生ぜしめたものである。又、原告の腫瘤は悪性のものではなかつたのであるから、術後に肉芽腫などの症状をきたす恐れがあるときは広範な摘出を中止すべきにも拘らず、手術担当医師は広範に摘出手術して肉芽腫を発生せしめた。
第三 証拠<省略>
理由
一被告が京大病院を経営していること、原告が四五年八月二七日福知山市桐村茂昭医師の紹介で右病院に来て宇山昌延医師の診察を受けたこと、診察の結果、宇山医師が原告の腫瘤が悪性のものでないこと、球結膜腫瘤手術により腫瘤の切除が可能であること、その手術には入院の必要がないと診断したこと、原告の学校の休暇を利用して原告の手術を実施すること、手術の日時は後日連絡して決めることとしたこと、打合の結果手術日が四六年三月二二日と決つたこと、当日原告のみが手術室に入つたこと、宇山医師でない正、鍋島の両医師が手術に当つたこと、手術には一時間余を要したこと、同年四月五日、原告が同病院で診察を受けたこと、当時右眼球結膜に肉芽腫が存していたこと、原告が患者相談掛へ相談したこと、その結果宇山医師が原告を診察したこと、宇山医師が治療と訓練により快復の可能性があること、状況によつては眼瞼下垂と球結膜肉芽腫切除の手術の必要があること、以後定期的に来院するよう指示したこと、原告は四六年七月二六日から八月二二日まで京大病院に入院し球結膜肉芽腫切除手術を受けたこと、この際左眼球結膜を右眼に移植したこと、退院後数回通院したこと、眼瞼下垂の状態が続いたこと、原告は四六年一二月二〇日から四七年一月一一日まで再度入院し眼瞼下垂の手術を受け、下垂状態が矯正されたこと、被告が前記医師らの使用者で被告の業務執行上行われたものであることは当事者間に争いがない。
<証拠>によると次のとおり認められる。
(1) 原告は幼時より右眼皆に先天性の腫瘤があつたが少し離れて見れば人が気がつかない程度のもので、そのため眼の活動に支障があつたり拡大する傾向があつたわけでもないので放置しておいたが原告が高校二年になつたので原告及び両親はこれを簡単に摘出でき眼に障害等も残らないなら摘出したいと考え、四五年八月福知山市の桐村茂昭に診断を求めたところ同医師は腫瘤は可成り奥深いところまであり、その手術は球結膜を切除しそれを他から補填せねばならず、又外眼筋に影響を及ぼすかも知れず、自分には手に負えぬと考え京大病院眼科にその手術の依頼をした。桐村医師はその依頼状を原告に持参させたがそれには「右眼球結膜腫瘍状のもの出産時よりあり、幼児の時大きくなるまで放置しておいてもおそくないといわれた由、現在迄増大するようなことはないようですが、美容上に気になることで、大分奥の方までいつている様なので入院の上治療下さるよう願い申上げます……云々」と書いた。
(2) この依頼を受けた京大病院眼科の宇山昌延医師は四五年八月二七日原告を視診触診により(生体顕微鏡は用いたがレントゲン検査は行わなかつた。)診察し原告の症状は、本来皮膚のような身体の表面を作る組織が内部に出来、それが異状に発達した右眼結膜類皮腫であると判断し眼球の突出、偏位、眼球の運動障害等も認められなかつたのでその手術には入院を要せず費用も低額(原告の両親は三〇〇〇円位ときいた)で済む、一週間位で眼帯がとれると比較的容易に切除手術ができる旨答えたので原告とその両親はその摘出手術を依頼した。宇山医師は原告の学校の休暇を利用して手術を実施する、日時は後日連絡してきめることとした。宇山医師はカルテに原告の治療方法は結膜腫瘍摘出の実施と書いた。
(3) 京大病院はその建前上単なる美容上の治療、手術は行わないので宇山医師はこれを形成的治療又は形成的手術といいそういうものとして受付けた。美容上の手術は全く美容が目的であるが形成的手術は結果として美容に役立つことはあるが目的は疾病の治療である。
(4) 打合せの結果手術日は四六年三月二二日と決り当日原告は両親とともに京大病院へ来た。原告らは宇山医師が手術をしてくれると思つたが実際は指導医正和朗と執刀者鍋島義明の両医師の担当であつた。その上原告のみが手術室に入れられ事前に詳細な診察はなく手術が行われた。
(5) 京大病院では診察の上治療方針(本件では摘出手術)を決定する医師と手術担当医師とが一致するとは限らず、むしろ別人が行うのが通常で、手術の目的範囲方法等は診察医師の作成したカルテに従つてなされる。本件でも手術医師はカルテに従つて原告の症状を知り手術を準備したが宇山医師から口頭で正、鍋島医師に詳しい申送りがあつた様子はない。この両医師も宇山医師のカルテで比較的簡単にすむ腫瘤摘出であると考えていた。ところがこの両医師が実際に切開してみると原告の腫瘤は意外に奥深いところまであつた。即ち腫瘍が球結膜、球結膜下組織外直筋と癒着しその他の部分との癒着はそれ程でなかつたが球結膜との癒着は強固で腫瘍は眼球の赤道部をこえて球後へのびていて、又上眼瞼挙筋と上直筋の間に腫瘍がはさまれていた。両医師は原告の腫瘍を奥の方は赤道部付近まで、上の方は球結膜の円蓋部まで切除した。腫瘍は残しておくと又発達する恐れがあり、それでは手術の目的が達せられないと判断したからである。しかし両医師は右の程度に止めた。両医師は術後の炎症として眼瞼球結膜の浮腫、一時的な眼球運動障害の発生を予想した。尚この手術は腫瘍と球結膜との剥離を行つたものであるため球結膜の一部に孔が出来ここから後日肉芽腫が生じ術後原告の右眼は強く腫れ上り、眼瞼下垂が生じた。
(6) 原告は二晩京都に泊り京大病院で術後の手当を受けて帰宅した。三月二四日に原告を診察した正医師は桐村医師に対し術後の処置を依頼したがその依頼書には「腫瘍が球後までのびている様子でしたが赤道部にて切断しました。上下外直筋には癒着なく無傷でした。しかし何分にも広汎なものなので術後眼球運動がどの程度障害されるものか心配しております……」と書いた。原告は桐村医師から術後手当を受けた。
(7) 同年三月二九日と四月五日原告は京大病院で診察を受けたが鍋島医師は原告の眼瞼下垂にはその形成手術を、肉芽腫は切除の手術をすることを考えた。
(8) 眼瞼下垂は上眼瞼挙筋に損傷を与えると生ずる現象であるが本件ではその後の手術の際の所見でも上眼瞼挙筋に直接損傷を与えた形跡はなかつた。術後の炎症が上眼瞼挙筋に及んだのと原告の上眼瞼挙筋が低形成、即ち発育が悪かつたため生じたものと関係者は判断した。
(9) 原告と両親はこの意外な結果に驚き京大病院の患者相談係に相談した。
(10) 四六年四月一二日桐村医師は京大病院あて「眼瞼下垂が外傷性の一過性のものかと思い消炎剤で様子を見たが効果なく内服、注射で幾分改善されたが余り効果がないので診断して下さい」と依頼した。これに対し宇山医師は「摘出手術の際上眼瞼挙筋の障害Sch〓dungを来たしたものと思われ、浮腫の吸収傾向をみて再処置を考えます」と返事した。この時点で原告の浮腫は僅かしか残つていなかつたが眼瞼下垂は判然と残り眼球は上下にはよく動いたか左右に制限があつた。四月二六日になり浮腫はほぼ消失した。
(11) 四六年六月二一日桐村医師は京大病院眼科の最高責任者である岸本教授あてに依頼書を書いたがそれには「手術侵襲のためか眼瞼下垂と複視を惹起しました。……患者が再手術を是非にと申しておりますので患者の願いをかなえて載きたくお願します……」と書いた。当日の岸本教授の診断では原告の右眼瞼裂巾は四粍、左眼は一〇粍、斜視なく複視も自覚せず眼球の運動が内側へ少し制限があつた。岸本教授は「夏休みに再手術を考えて見ることと致します」と返事した。
(12) 四六年七月二八日原告に対し宇山医師が球結膜肉芽腫除去の手術を行つた。これは第一回手術後に生じた肉芽腫の除去を行つたものでその後には左眼の球結膜を移植した。この手術は成功し原告の球結膜はきれいに元通りとなつた。
(13) 原告の眼瞼下垂は徐々に軽快傾向が見られたが自然治癒はこの辺までであろうということで四六年一二月二四日この方面の権威者坂上助教授の執刀でブラスコビクス法による眼瞼下垂手術を行つた。介助者に宇山医師、萩野医師がなつた。その結果は良好で原告の右眼は二重瞼になつたが眼瞼下垂も兎眼も大部分消失した。四七年三月四日、四月一〇日の桐村医師の診断によると原告の右眼の瞼裂は左眼に比べ二粍多い程度で僅かであり複視はないと診断した。
(14) 原告は四九年八月九日足立哲朗と無事結婚した。但し原告は高校卒業後短大に進み保母になることを希望していたが三度の手術でその希望は果せず洋裁の道に進んだ。原告は今でも疲れると右眼に出て充血し易いとか上方の視界が狭いといつているがこれを裏付ける証拠はなく右眼が二重瞼となり、睡眠の時少し瞼が閉じていない状態になるが生活上に支障はない。醜状もない。
(15) 尚前記第二第三回の手術は原告の症状が稀で研究せねばならぬという理由で京大病院では学用患者に指定しその費用は文部省から出ている予算により支出した。原告には健康保険の適用があつたのでその私費負担分を国家が支弁したのである。
以上のごとく認められ一部以上の認定に反する証人宇山昌延、正和朗の証言は措信しない。
右認定事実によると原告ないしその法定代理人たる両親と京大病院との間に結ばれた第一回の手術についての契約は原告の腫瘤摘出のための診療契約で、その性質はその目的が明確である点よりして請負の要素の強い準委任契約とみるのを相当としその履行補助者たる宇山、正、鍋島の各医師はこの趣旨に則り専門家としての善良な管理者の注意義務を以てその診療に当るべきものであつたといわねばならない。
本件は専門家である宇山医師らの予想をこえて原告の腫瘤が奥深く存在したため、正、鍋島両医師はこの種の腫瘍はなるだけ多く切除することが再発を防ぐため必要と考え赤道付近迄切除したものであり、そもそも原告の腫瘤摘出手術は原告の右眼球結膜に癒着している腫瘤を除去するものである以上球結膜への侵襲を避けることはできないのであるからその侵襲個所へ肉芽腫を生ずることもやむを得ず、その肉芽腫除去とその跡へ左眼から球結膜を補填したのも相当な処置でありこのためこの部分はほぼ原状に復したといえるので、正、鍋島両医師が赤道付近迄手術したことに過失があるとみることはできない。
次に原告に生じた眼瞼下垂について考える。
鑑定人の国立岡山病院長奥田観士は岡山大学医学部教授を経た眼科の権威であるが同人にも本件症例のような眼瞼下垂を経験したことがなく、なぜこのような眼瞼下垂が生じたのか説明が困難だという。
眼瞼下垂は一般に上眼瞼挙筋に損傷等の障害を与えて生ずるものであり、本件では第一回手術の時過つてそこへ侵襲を生じたのでないかと疑つて見ねばならず原告のその付近が低形成であつたという説明は稍安易に過ぎるかも知れないが、第三回手術時の所見によると原告の上眼瞼挙筋に瘢痕はなく、そこに直接の損傷を与えたという証明はない。しかし全く何ごともないのに眼瞼下垂が生じたとみることはできないので、当裁判所は第一回手術時の侵襲が上眼瞼挙筋と上直筋の間にはさまれていた腫瘍の切除であつたため上眼瞼挙筋に侵襲の影響が及びそれが眼瞼下垂を生ぜしめたものと推測するがこれもむしろ第一回手術に随伴して生じたものでやむを得なかつたものというべく、これも正、鍋島両医師に過失があつたとみることはできない。
そこで問題はその後二回も手術を重ね五九日間も入院せねばならぬような合併症を生ずる手術なのにこれを予見できず入院も必要でないといとも簡単な手術で済むといつて原告を安心させて手術を承諾させた宇山医師の態度をどうみるか即ち医師の説明と患者の承諾との間の不一致をどう見るかという諸外国や最近の我国の学説判例でも取上げられることが多くなつた医師の説明義務の問題といえる。
鑑定人奥田観士の鑑定書(二)岸本正雄作成の乙四号証は本件原告の場合、その奥にある腫瘍の大きさを予見することは不可能であつたというが前記認定のように医師桐村茂昭は京大病院に原告の腫瘤が可成り奥深いところまであることを知り入院させて治療させてくれと依頼しているのであるから前記鑑定書の意見をそのまゝ採用することはできず宇山昌延医師としてはより慎重に診察しあらゆる可能性を研究しそれに伴う合併症を説明しそれでも原告が手術を望むかどうかを確かむべきであつたし又原告の希望を手術実施者に十分伝えるべきであつたのにその配慮を欠いたことは同医師に診断上の過失又はなすべき伝達を怠つた過失があつたといわねばならない。
手術を目的とする診療契約の実施にはその当時の医学水準による高度の知識経験を要する反面医師には或程度臨機の自由裁量が許され微に入り細に入り事前の承諾を必要とするものと考えることはできないが本件における原告の症状は当時の日常生活には何の支障もなく是非これを摘出せねばならぬという程のものでなかつたため重大な合併症を伴わない簡単な手術ならば実施して欲しいというものであり、原告はそのことを宇山昌延医師に明示しておるのであるから同医師はそれにふさわしい診断をなし原告の意図を手術実施者に伝達すべきものであつたのである。
原告を含めて患者は手術に伴う合併症の存在を全く知らぬのでなく、本件原告も桐村医師が自らはできず京大病院に依頼した位であるから侵襲に伴う傷位は了知していたといえるが患者はその合併症と比較し尚且手術の実施を望むか、それともその実施を断念するかの自由を有する。医師は専門家として素人たる患者より患者にとつてどちらがよいかの選択をなしうる場合が多いがその場合でも患者にそれを説明してその承諾のもとに手術を行うべきでありその承諾なくして手術をなしうるのは患者が合理的理由なくして手術を拒むとか緊急事態その他で患者の承諾を得られない場合たるを要し、然らざる限り手術するかしないかの選択は患者の方が優先するといわねばならない。特に本件のように美容に重点があり、是非必要とする手術でない場合は一層然りといわねばならず、それに伴う責任の免除は医師が患者に合併症について十分な説明を行い、患者が尚且これを望んだ場合にのみに与えられるべきものであり、然らざる限り契約に反する違法な侵襲となり医師はそのため生じた損害賠償の責を免れないといわねばならない。
本件原告の場合は幸いにして第二、第三回の手術により腫瘤摘出の目的を達したとはいえるがこのことはその過程における違法性を除去するものと考えることはできない。
即ち当裁判所は正、鍋島両医師に手術上の過誤があつたものとはみないが、その後二回も手術を重ね五九日間も入院せねばならぬようになつたことは原告の予期せざるところでありそれは宇山医師の診断上の過失と原告になすべき説明を怠つたためであるから京大病院従つて被告は契約違反即ち債務不履行として原告に生じた次の損害を賠償せねばならぬものと判断する。
二損害
<証拠>及び前記認定事実によると原告は第一回手術が予期せぬ結果に終つたためその間桐村医院に少くとも三六回通院し、患者負担金として二万一七四六円を支払つたこと、その後第二、第三回の手術のため京大病院に合計五九日入院したこと、原告方から桐村医院のある福知山までの交通費は片道一〇〇円であつたことが認められ又<証拠>によると原告は第二、第三回の入院以外に第一回の手術後少くとも原告主張のように一三回京大病院に通院していることが認められるのでその損害を次のとおり算定する。
(これ以外の証拠はない)
1 桐村医院の治療費
二万一、七四六円
尚京大病院の分については証拠がなく、被告が認めている京大病院の治療費一万四、三六九円は第一回手術の分であり第一回手術時の分は何れにしても原告の負担すべきものであるから損害とはみない。
2 交通費
(1) 桐村医院へ通院の分
七、二〇〇円
100×2×36=7200
(2) 京大病院へ入通院の分
一万九、五〇〇円
1500×13=19500
一五〇〇円という単価は経験則により認める。
3 入院雑費 一万七、七〇〇円
300×59=17700
右は経験則上当然認められる。
4 母親の付添費 交通費 六万円
具体的な立証がなく、原告の症状、入通院状況から考え、その全部に付添が必要であつたとは考えられないが少くとも右金額に相当する交通費と付添費を要したものと認める。
5 慰藉料 二〇万円
諸般の事情に鑑み原告に対する慰藉料は右金額を以て相当と認める。
6 弁護士費用 七万円
本件と相当因果関係にある弁護士費用は右費用を以て相当と認める。
以上の合計 三九万六、一四六円
以上によれば原告の請求はその余を判断するまでもなく被告に対し金三九万六一四六円及び弁護士費用を除く三二万六一四六円に対する本件訴状送達日の翌日であること記録によつて明らかな四八年七月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言と免脱宣言はこれを付する必要なきものと認めるのでこれを付さず主文のとおり判決する。
(菊地博 小北陽三 亀川清長)